日本で初めて世界遺産登録された古墳、新原・奴山古墳群。
海風の吹き渡る広大な古墳群。とにかく景色がいい!
…それ以外の特徴って何だろう。石室に入ることが出来る古墳が無いし、徒歩圏内に資料館も無いよね…?
私にとって、そんなイメージでした。
秘密のベールが剥がされる時がきた
これまでに発掘調査されていなかった新原・奴山古墳30号墳の秘密のベールが剥がされる時が来ました!新原・奴山古墳群の魅力を知るチャンス到来です。
30号墳は、過去の崩落で急斜面となった後円部がさらに崩れないように、昨年2019年12月より保存処理を行うための調査を開始、途中経過として現地説明会が行われることになったのです。
たまたま当日別件の用事を入れてしまっていた がちゃん一行は、なんとかして現地に向かったのでした。
午前と午後の部が用意されていて、本当に助かりました。たどり着いたのは集合時間の5分前。ああ、間に合って良かった。
30号墳へと逸る気持ちを押さえつつ、周辺の古墳について説明を受けながら古墳群の中を歩いて進みます。こんもりとした森に見える場所は、新原・奴山古墳群最大規模80mの大きさを誇る22号墳。珍しい帆立貝形古墳です。(見えないけれど)この古墳からは、円筒埴輪や馬型埴輪が出土しています。
これは…24号墳だったかな…(ちゃんと話を聞くように!)
新原・奴山古墳群には41基もの古墳が現存しています。全部周ったら、どれくらいの時間がかかるのだろう。古墳ゲシュタルト崩壊してしまいそう。
さあ、お待ちかねの30号墳へ向かいましょう!!!
わーー!!石人先生、おひさしぶりです!
思わぬ嬉しい再会に小躍りしつつ、ベールを脱いだ30号墳へ向かいます。
まずは、後円部から。
お!トレンチ調査。中を覗くのはワクワクします。
ここからは、古墳の周溝が見つかったんですね。
この葺石や須恵器の大甕の一部は、周溝に転がり落ちたものか、祭祀などで故意に投げ込まれたものか、いろいろな想像が出来ますね。
周溝に、謎の穴を発見
文化財課のNさんによると「柱穴とみられる穴」とのこと。
柱穴って、なんのために立てるんですか?
古墳を築造する時に、基準を定めるためのものだと考えられますよ!
「古墳の設計図」という言葉が浮かびました。
前方後円墳にはサイズ違いの相似墳があることから、設計図があったのでは?という話を聞いたことがあります。しかし実際に設計図が残っているわけではありません。
気になっていた古墳の築造方法が、新原・奴山30号墳の調査から分かるかもしれないと気づき、一気にテンションがあがるのでした。
うっすらと、黒い層が続いていますね!
炭粒を含んだ黒い土の層は、古墳築造時に草や木を燃やした部分。その上に古墳の墳丘盛土を行っていると考えられるそうです。
墳丘が崩れにくくなることと、もしかしたら地鎮祭をしたという考えもあるかもしれませんね。
なるほど!すごく腑に落ちます…!
色々な土の層が重なっているので、鼻息荒く「版築(はんちく)だ!」と声をあげたのですが、厳密にいうと版築風だそうです。版築になるために何が足りないのか、近々大野城心のふるさと館に行って勉強してきたいと思います。
後円部からぐるりとくびれ部分へ移動します。
前方部と後円部の境に、溝と思われる部分を発見したことで、後円部の盛り土はこの溝に接するようにドーナツ状に積んでいくという行程を経たのでは?と考えられるそうです。
ここの土を積んだあとに、ここ、そしてあそこ、そして…
(わー!知識が追いつけない!)
墳丘断面を見て、土を持った順番を読み解くことが出来るなんて。さすが石人先生!その場ではわかった気になったけれど、やっぱり追いつけなかったです。
盛り土を積み上げる工人さんグループが1度に積む土の量は50cm×50cmくらいだという話は覚えました!
はじめての珪化石(けいかぼく)
あちらこちらにゴロゴロと置いてある葺石の中に、すこし違う形のものがありました。よーく見ると年輪が見えます。
それは、珪化石(けいかぼく)といいます。
木の化石なんですよ。
古代の樹木が、このように化石となって出土することがあるのだそうです。
この古墳が出来た頃の樹木なのか、前か後か…。とても美しい化石を眺めながら、しばらく想像をして楽しんでいました。
発掘調査はまだまだ続く
今回見学した30号墳の後円部は、古墳築造時に近い方法で保存修理を行い、前方部は引き続きトレンチ調査を進めるとのこと。更に新原・奴山15号墳の追加調査、来年度には34号墳の調査と、発掘調査が続いていく…ということは、新原・奴山古墳群のことを知る機会がまだまだあるということですね。
次回の現地説明会予定は2021年2月頃とのこと。
海風びゅうびゅうで極寒の地になりますので、これでもかと厚着して新原・奴山古墳群に集合しましょう!