前記事でレポートした野津古墳群ピクニックが終了したのは15:00
野津古墳群の余韻冷めやらぬ私たち。すぐに帰るのは勿体ないなぁと端ノ城古墳で、古墳ジャンプしたり埴輪探索をしていたら、学芸員の鈴嶋さんが引き続き氷川町の史跡を案内してくださることになりました。やったー!それでは番外編いってみましょう!
モースがスケッチした大きな楠
東京の大森貝塚だけではなく、氷川町の大野貝塚も発掘したエドワード・S・モースにまつわる場所「法道寺薬師堂(ほうどうじ やくしどう)の楠」へ。
見事な楠を見て、エドワード・S・モースが描いたスケッチがこれです。
この楠は、いつからここにあるんですか?
この楠は、法道寺が廃寺になった後、寺にあった薬師如来を祭るために薬師堂が建立されました。その時に植えられたと伝えられています。ちなみに、廃寺になって1000年ほど経ちます。
廃寺になって、1000年!
すごいパワーワード。廃寺になって1000年。
途方もない年数が経っている中、この場所に立ち続ける楠。モースが見た景色を追体験できる貴重な場所です。
撮影大会がはじまりました
モースが申す…
(何か聞こえた気がするけれど、華麗にスルーしておこう)
室山古墳(むろやまこふん)
モースの楠で皆さんとお別れ。
鈴嶋さん、円筒埴輪先生、コダイのブカツメンバーで最後にもう一か所だけ行ってみましょう!古墳や史跡めぐりは17時までフルに使いたい。
先導する鈴嶋さんの車を追いかけてたどり着いたのは、坂の入口でした。
登った先に何があるのかワクワク。小高い丘だから、もしかして…。
道の脇に突然現れる覆屋。看板があるので読んでみましょう。
古墳があった場所に覆屋を作って石棺を保護がされています。
2つある石棺のうち、舟型石棺はこの場所から、もう一つの箱式石棺は近くの宮原小学校工事の際に出土したものを移築しているということらしい。
石枕!石枕!石枕!
舟型石棺がバッキバキに割れていることが気になるところですが、私が特に注目したいのは石枕。石棺フタ部分にある縄かけ用の穴が貫通しているところも捨てがたけれども。分かりやすく画像をアップしますね。
よーく見てください これが石枕!
石棺が頭の形に添うように作られています。
石枕として別個にある場合もありますが、このように石棺に作りつけられている例もあります。寝心地を確かめたいけれど、サイズSSだし、もっと割れそうなので諦めます。
もう一つの移築された石棺は、板石を組み合わせて箱のようになっているので「箱式石棺」と言います。先ほどの舟型石棺にも朱が塗ってあったそうですが、目視できるほど残っていません。一方こちらの箱式石棺の中は、真っ赤っか。
…というほどの写真を撮ることが出来ていなかったー!
次回は石棺の中に手を突っ込んで真っ赤っかぶりを撮影したいと思います。
石棺二つをじっくり見学したところで、時刻は17:00になりました。
本日の墳活終了です。鈴嶋さん、円筒埴輪先生ありがとうございました!